〈もやい〉設立時からともに〈もやい〉の歴史を作ってきた風来坊さんが、『おもやい通信』にぜひ一筆寄せたいと原稿を書いてくださいました。
〈もやい〉創立記念西暦2001年。
四谷区民館にて支援者はじめ、多くの団体と生活困窮者達が多数参加。私もその中の一人でした。
理事長に稲葉剛氏、事務局長に湯浅誠氏、二人とも東京大学出身者で手も届かぬ人材でした。舫(もやい)船(ぶね)は希望と成功と信頼を確信し荒波の中に舟出。
2014年稲葉理事長は退き、私の目の中は暗暗になり残念になりました。二代目理事長は現在の大西連氏でした。私は稲葉理事長には数多くの義理があり世話になった。現在は中野区沼袋でつくろい東京ファンドを設立。〈もやい〉と同様、支援をする団体として発足し現在も並々ならぬお世話になっております。
現在の大西理事長の〈もやい〉は前理事長の意思をつぎ、生活相談支援、ごはんプラスと共同での都庁前での食品配布を施行し、さらに入居支援と力一杯。事務所内でも支援に関わるスタッフボランティアの方々には頭が下がります。
〈もやい〉の仲間から長老とも言われ私も93歳になりました。京都で生まれ宇治茶の匂いとともに成長。
昭和16年、大東亜戦争の真っただ中、少年兵を志願。幸いにも終戦となり退兵してからは自暴自棄となり親にも見放され、何が何でも生き抜かなければと判断。東京山谷に露天店や手配師など人の人生の裏道へと足が向くようになり、結果は屏の中の人生を。
再び陽の当たる場所で年号も平成に代わり、行くあてもなく新宿で〈もやい〉の支援を受け、20年は経ちました。これまで、もやい結びの会主催の積立旅行、サロンは現在コロナの影響のため、毎月第2土曜日1回ですが、集う仲間の顔、話す期間が水を得た魚のごとく我も忘れ、素敵な時間を過ごせることがこんな幸せが私にあって良いのかと。スタッフの皆さんにどう応えていいのだろうかと反省する。
〈もやい〉のお陰で私の屍(しかばね)は、浅草にある光照院に埋葬と予定されている。春と秋の法養に参加し、今は亡き多くの友を偲び、南無阿弥陀佛と手を合わせ祈っている。私に残された時間〈もやい〉に恩返しがしたい。
現在は歩くことさえままならず電動車椅子生活をしている。月2回の在宅診療と週2回の近くのデイサービスに通所しながら、一日も長く生きたい。そのためには私には〈もやい〉という星座になにかを残したいと願うとともに理事長、スタッフの全員の健康を祈り筆を置く。有難うございました。
風来坊