生活相談・支援事業の結城です。今回は現場からというより、厚生労働省で行われている、生活保護制度の基準をめぐる議論について紹介したいと思います。少々小難しい話も入るかと思いますが、最後までお読みいただけたら幸いです。
厚生労働省では、2011年より「社会保障審議会生活保護基準部会」という場で、研究者などの有識者を招いて生活保護制度の基準にかんする議論を継続的に行っています。最近では2018年度から生活保護費の基準額が大幅に変更となり、数年をかけて基準額が変わってきました。〈もやい〉にも、基準額が変わったことで生活がより厳しくなったり、戸惑っているという相談が寄せられてきました。
これまでの経緯
前回の基準額変更をめぐっては、さまざまな議論がありましたが、基準部会の中でも取り上げられていた大きな問題の一つとして、基準額の検証手法そのものの妥当性があります。検証手法というのは、生活保護の基準額を評価し、見直す方法のことを指しますが、この方法は実は時代によって変わってきました。
戦後しばらく取られていた「マーケットバスケット方式」と呼ばれる手法では、最低生活を営むのに必要な個々の品目を積み上げて、それらを購入するために必要な額がいくらか、という観点で評価していました。しかし、高度経済成長期に入り、生活保護制度を利用していない世帯と保護利用世帯との間の生活水準が大きく離れていってしまったため、1965年からはこの差を縮小するために、保護の基準額を引き上げていく「格差縮小方式」が採用されるようになりました。その後、この格差が縮まってきたと判断され、1984年以降は生活保護世帯と一般の低所得世帯の生活水準の間のバランスをとるように調整する「水準均衡方式」に移行しました。現在は、さまざまな変更は加えられているものの、「水準均衡方式」が引き続き用いられています。
この方式がなぜ問題なのかといえば、前提となる経済状況が大きく変わってきていることが関係しています。「格差縮小方式」および「水準均衡方式」は、あくまでも全体の経済が右肩上がり(ないし少なくとも横ばい)であることが前提でした。この前提のもとでは、全体の世帯の動向にあわせて保護の基準を設定すれば、「健康で文化的な最低限度の生活」を割り込むことはないと考えることができました。しかしながら、周知のとおり1990年代以降日本の経済は長い不況を迎え、さらに格差が拡大する中で、比較対象としてきた一般の低所得世帯の生活水準が悪化してきました。経済状況が変わっているにもかかわらず、「水準均衡方式」を用いることによって、生活保護の基準がどんどん低下し、結果として生活保護基準が「健康で文化的な最低限度の生活」を維持できない水準にまで落ち込んでしまうのではないかということが批判されていました。
今どんな議論がされているのか
こうした問題意識から、基準部会ではこれ以上下回ってはいけない水準というのをどう考えるのか、また水準均衡方式をどのように見直せばよいのか、2021年度から議論を続けてきています。具体的には、「MIS(Minimum Income Standard)手法」「主観的最低生活費」の試算が2019年度から行われており、その結果を現行の基準や国による生活水準にかんする統計と比較するということが行われています。
MIS手法というのは、モデルとする世帯(「若年(32歳)男性の単身世帯」「高齢(71歳)女性単身世帯」など)を設定し、このモデル世帯に近い属性を持つ人々を対象にグループ・インタビューを行い、「最低生活」のためにどのような物品やサービスが必要であるのかを議論してもらった結果を取りまとめたものです。「マーケット・バスケット方式」との大きな違いは、「最低生活のために何が必要か」を専門家が決めるのではなく、実際にモデル世帯に近い人々に話し合ってもらうという点にあります。そのため、その時代に実際に生活している人の観点を取り込むことができます。また、この方法では現実的な収入などの制約を考えずに、「最低生活」とはどの程度のものかを考えます。そのため、実際に低所得で生活している場合には「必要だとは思うけどあきらめてしまう」ようなものも含めることができる点に特徴があります。
もう一つの主観的最低生活費の試算というのは、インターネット上のモニター調査を用いて、一般的な市民の最低限度の生活の認識を調べる調査です。具体的には、「切り詰めるだけ切り詰めて最低限いくら必要ですか」という質問と「つつましいながらも人前で恥ずかしくない社会生活をおくるためにいくら必要ですか」という質問に対する回答を取りまとめたものになっています(それぞれ「K調査」「T調査」と呼ばれています)。
これらの調査結果は「最低生活」の定義の仕方が違っていたり、手法そのものが大きく違うために、単純に結果だけを比較することはできません。しかし、興味深いのはいずれも現行の生活保護の基準(厳密には生活扶助基準)よりも高く出る傾向がみられていることです。
図1にあるように、MIS手法で推計された最低生活費は、とくに若年層で保護基準よりも高くなる傾向にあります。ただし、今回の推計では地域も異なるため、この違いが年齢によるものだけとは言い切れません。とはいえ、高齢世帯においても生活保護の基準よりも高い値が出ています。
また、生活保護制度上の1級地の1における、主観的最低生活費(中央値)と生活扶助基準を比較した結果では、T調査の場合ほぼすべての世帯で、K調査では多少のばらつきがあるものの多くの世帯で生活扶助の基準よりも高い水準となっています(図2)。したがって、一般に「最低生活」と考えられている水準は生活保護の水準よりも高い傾向にあるようです。
これらの調査結果がそのまま保護の基準の決め方に反映されるわけではありませんし、いまのところ水準均衡方式に根本的に取って代わる手法が作られているわけではありません。しかし、今回結果が示された2つの調査は人々が最低生活費をどう捉えているのかを明らかにしようとしたものであり、それらが現行の保護の基準と開きがあるということは事実です。基準部会では今後、この差をどう評価し、その背景に何があるのかを考え、基準の決め方を評価していくことになると思われます。まだまだ先が見えませんが、多くの人に影響を与えるこうした議論を〈もやい〉としても追いかけていきたいと思います。(結城)