サラリーマンとして32年間働いた職場を55歳を契機に昨年退職し、今年4月からスタッフとして働いています。
〈もやい〉のスタッフとして働く日以外には、障害年金・労災保険・労働問題について労働者のための社会保険労務士として活動しています。
〈もやい〉でスタッフとして働きはじめるまで
私が社会問題について考え取り組むきっかけとなったのは高校の授業でした。
高校では、水俣病や原爆被爆者など幅広い問題について毎回プリントを配り小論文を書かせる社会科の先生と出会い、社会問題について考え始め、差別や貧困をなくし戦争のない平和な社会をつくるために学びたいと思い、就職先が決まっていましたが大学に進学しました。
大学のゼミでは貧困問題を学びましたが、どうしたら貧困をなくせるのか? わからないまま卒業・就職をしました。
そんななか〈もやい〉と出会うことになったのは、リーマンショックのときに労働相談員として参加した集まりで、家賃のためにサラ金から借りた借金の返済に困っているという相談を受けたことがきっかけでした。何を話しても、どこからか借金しないと家賃が払えないと繰り返していた相談者の方の姿がいまでもはっきりと目に浮かびます。
弁護士に相談することと生活保護申請を勧めましたが、申請の方法など具体的なアドバイスはできませんでした。
そして、生活保護について学ぶため〈もやい〉を訪ねて生活保護申請についての冊子をいただき、それからは冊子を相談者に渡して説明しました。
大学で貧困問題を学んだものの答えがわからないまま35年近く経ちましたが、貧困問題を社会的に解決する現場でスタッフとして働くことができてとてもうれしいです。
だれにとっても安全でプライバシーが守られて追い出されずに安心して住める家(アパート)が必要
どうしたら貧困をなくせるのか?
今でも私のなかで答えはでていませんが、私自身の人生経験でわかるのは、安定した住まいが人としての生活に不可欠だということです。
私が高校生になるまで住んでいた長屋が取り壊すことになり家族で途方に暮れましたが、運良く安い家賃で市営住宅に入居でき、追い出される心配もなく、収入は低いままでしたがとても安心して生活できるようになりました。
生活を圧迫しない金額の家賃で住める清潔で安全な家(アパート)があれば、貧乏でも安心して生きていけるようになります。
お金持ち・貧乏人に関わらず、カギをしめて安全でプライバシーが守られ、雨風や気候の変化から守られて安心して暮らし続けられる家があり、追い出される心配がない状態でいられることの意味は計り知れないほど大きなものです。家は1人の人間としてだれにとっても保障される必要がある最低の条件です。
路上で生活している人は雨や風、暑さ・寒さ、望まない形での他人との接触の中にいてプライバシーと安全の保障がない環境にいます。ネットカフェや知人宅に身を寄せている人もいつ住まいを失うかわかりません。
ホームレス状態の人が家(アパート)に住むためのシェルター
ホームレス状態の人が1人の人間として健康で文化的な生活をするうえで、ハウジングファーストの取り組みが重要であることがアメリカなど外国の取り組みをみるとよくわかります。
広い意味でのホームレス状態の人が無料低額宿泊所などを経由せずに生活保護を受給してアパートで生活するためのシェルターへの入室、そしてシェルター入室後にアパートへ移るために必要な取り組みを、〈もやい〉のスタッフとしてサポートしていきたいと思っています。(小倉)