2017年の〈もやい〉は、夏から秋にかけて中高生を対象としたセミナーや今年4回目となる貧困問題基礎講座を開催。
10月には初の試みとなる認定NPO 法人ビッグイシュー基金とバリューブックスとの共催イベント「『社会を考える』を、考える」を実施しました。今回は発起人であるビッグイシュー基金の永井さんに今回のイベントと今後の社会問題の発信のあり方についてのお考えを伺いました。(聞き手:結城翼)
なぜ「『社会を考える』を、考える」なのか
結城:今回のイベントは社会問題に関心があるけれど、具体的にどう行動すればいいのかわからないという方向けでしたが、こういったイベントの発想はいつ生まれたのでしょう?
永井:今年の冬に〈もやい〉のみなさんと、夏くらいに何かイベントできたらいいね、みたいな話をしていたのですけれど、そのあとバリューブックスの広瀬さんと話した時に、チャリボンでかかわっている団体で集まって、寄付の市場を広げられるような話ができるかもしれないという着想が生まれました。でもそうすると小さくなってしまうかなと思って、結果的にチャリボンに限定しない形になりました。それでNPO法人OVAさんやぷれいす東京さんを含むいろんな団体の活動を知ることができる場になったんじゃないかなと思います。もっと人びとが社会問題に関わってほしいというのは前から思っていたんですよね。貧困とかって天災ではないじゃないですか。社会の問題なんだからいろんな人がもっと関心を持って取り組まなくてはいけないのに、なかなかそうはならない。そういう問題意識はずっとありました。
貧困の語り方
結城:そのような問題意識からたとえば「誰でも貧困になりうる。だから貧困は他人事ではない」などの言い方をして啓発しようとすることはありますよね。私は個人的にこの言い方はしたくないのですが。
永井:あれは僕も反対なんですよ。生涯を通じて貧困にならない人の方が数としては多いわけですから、この言い方って多くの人にとってはリアリティがないじゃないですか。戦略的にもそれは良くないと思うんですよね。自分が貧困になりうるかもしれないというのはリスクヘッジの話に解釈されてしまいがちで、それなら(お金持ちの方は)「民間の保険でリスクを回避すればいいや」という話にもなってしまいかねないわけですし。でも、貧困とかっていう社会問題は自分が貧困ではなくても関わっている構造的な問題で。誰かが困っていて、その上に自分たちの生活が成り立ってしまっているという、そういう「居心地の悪さ」にどう向き合うか、という問題提起のほうが建設的だと思いますよね。
結城:貧困という言葉は根付いてきた一方で、貧困を自己責任の問題だとする声はいまだに根強いですよね。社会問題といった時、それは自分を含む社会の成員の責任を問うことにもなりますが、自己責任という言葉はその責任を不問にするレトリックでもあるのかなと思います。
永井:「貧困を社会問題とすると自分も責任を有しているということになるから、それは避けたい」そういう風に考えている人はまだ貧困が社会問題だと考える素地のある人だと思うんです。逆に、貧困という現象と自分との関係性に鈍感な人に対してどうアプローチするか、というのが大きな課題だなと思いますよね。それから、社会問題に関する発言でも「そういう言い方っていいのかな」っていうのがあったりするので、そういうことについて突っ込んで話し合えるような場があってもいいのかなと思っています。たとえば子どもの貧困が今すごくブームになってますけど、あれも子どもなら自己責任を問えないからこそ活発に語られているということがあると思うので、逆に自己責任か否かという論点を先鋭化してしまう危険すらあるなと思います。
今後の活動やイベントについて
結城:次はこんなイベントをやりたいなとかっていう考えは現時点でありますか?
永井:NPO とかに触れる機会があまりない人と交流するのは個人的にすごく好きなので今回のようなイベントもあっていいのかなと思います。あるいは次やるとしたら貧困とかテーマをぎゅっと絞って話し合えるようなものとか。
中長期的に考えたときには、若い人がどう考えているのかってすごく興味があるし、若い人のほうがこれからいろいろな価値観に触れていくので、一緒に考えたりとかしやすいのかなと思っています。
結城:ありがとうございました。